キヴォトスへ迫る脅威

キヴォトスへ迫る脅威


 その日、ミレニアムサイレンススクールは未曽有の喧騒に包まれていた。


 ことの発端は、ゲーム開発部が拾ってきたと主張する出自不明の――ほとんどの生徒は近郊にある「廃墟」だろうと推測はつけていたが――小さなインゴット状の金属だった。比重はどの既存の金属とも異なるが、まるで金のように伸ばして加工できる。ミレニアムの生徒でそんな興味深い素材に食いつかない生徒は一握りで、あわや奪い合いにまで発展しかけたほどだ。幸いにもこの騒動の中心……アリスがそのインゴットを渡したのはセミナー会計のユウカであり、彼女はどこかに忖度するほど愚かでもなかった。研究用素材としてインゴットは均一に切り分けられ配布されるという声明が知れ渡ると、セミナーによる新素材の独占を許すな!と騒いでいた生徒たちは呆れかえるほど素直に沈黙。しかして新たに生まれた熱はなかなか消えず、夜中になってもミレニアムの部室の大半から電気が消えることはなかった。



そして、次の日、シャーレにて。”当番でなくてもいつでも来てもいいよ”といっても、生徒の皆が皆毎日来るわけではない。比較的珍しい生徒の訪問に、先生はコーヒーを出して”それでどうしたの、ウタハ?”と尋ねる。そうしてウタハの口から昨日の騒動が伝えられ、そして机の上に手のひら大の大きさの機械の箱のようなものがおかれた。


 ”これは?”

存外に”また何か作ったの?”という意味を込めながら、先生はその機械を見つめる。なるほど一見箱に見えたそれは、うねうねと模様を描いた形の薄い金属板をミルフィーユのように重ねたもののようだ。その形状に既視感を覚え、思い出そうとする先生を横目にウタハは自慢げに語る。


 「先生は普通の人間だろう?エデン条約の時も銃撃されたと聞くし、アトラハシースの箱舟から脱出した時だって、奇跡的に助かったが二度目があるとは言い切れない。もちろん先生自身も防衛手段があることは知っているけどね。」


「これは起動することで小型の箱から展開して強化外骨格になる装備だ。展性の高さがまず注目されたけど、この金属の本質はその高い伝導性。となると、身体に這わせて身にまとう強化外骨格が一番いい。とはいえまだ先生の身体にフィッティングさせているわけでもないし、ユウカがくれた分は全身をまんべんなく覆うにも足りない。ひとまず重要な部分だけを保護する試作品ができたからテストをしてほしいんだ。」


「現状は素材不足だけど、設計自体は終わってるからね。ゆくゆくは全身を保護したうえで、腕部にブースターをつけて自由飛行を可能にする予定だよ。思っていたよりもこの金属には余裕がある。他に先生が欲しい機能についても聞いておきたいのだけれど……先生?」


 説明にうんともすんとも言わない先生にウタハは口を止める。自らの発明品を不安に思ったことはないが……先生の様子がおかしい。いったいどうしたのだろうか。


 ”いや……ちょっとね。この素材に心当たりがあるような気がして。”と口を開いた先生にウタハはなんだって!?と目を輝かせて立ち上がった。その後、少し恥ずかしそうにしながら座りなおす。

 「ごほん。……仮に製造可能なら、活用法は一気に広がる。そうでなくとも、サンプル数が多ければ製造にこぎつけるかもしれない。先生、この素材について知っていること、教えてくれないかい?」


 そう尋ねるウタハを尻目に、先生は考え込む。久しく感じられなかったために気付くのが遅れたが、この素材からは「青」……そして「白」と「黒」のマナを感じる。キヴォトスは確かに多元宇宙に属するが、あくまで『学園都市』であるキヴォトスにはマナはない。先生がプレインズウォーカーとして力を保っているのは、その強力さもあるが、同時に生徒だったプレインズウォーカーから直接招かれた人物としての特権だからだ。となると、これは明らかに、キヴォトス由来のものではない。


 (どこで見た……この金線模様は。ファイレクシア?いいや黒い油は見当たらないし、そもそもエリシュ=ノーンは機能を停止した。この模様ならカラデシュ……いや、カラデシュの金線はあの環境あってだ。ウタハの発明とは関りがないはず。それならば……ヴロノース!彼の顔だ!彼は確かアラーラ、いやエスパーの……)


 ”エーテリウム!”

 突然声を上げた先生にウタハはびっくりして肩を震わせるが、すぐに冷静になって先生の言葉を聞き返す。

 「エーテリウム?それが、この素材の名前かい?」


 ”……そうだね。私の考えているものと同じなら、これはエーテリウムだ。”

 「!なるほど。それで、製造方法は……」

 ”残念だけど、私も知らないよ”


 珍しく先生は生徒に対して嘘をついた。ブレイヤという名の人物が、新たなエーテリウム鍛造の方法を発見していたことを知っている。素材はキヴォトスには存在しないため製造は不可能だろうが……問題はそこではない。生徒に対して、キヴォトス外由来の知識を与えていいのか。その一点について、表情にこそ出さないが先生は悩んでいた。もっと言えば、エーテリウム以上の何かが襲来しないとも、それが敵意を持っていないとも限らない。生徒たちに下手に多元宇宙の存在を公言してしまって、取り返しのつかないことになってしまったならば。


 そこまで考えて頭を振る。いまは"先生"として、ウタハとの話に集中すべきだ、と。



 「……そうか。いや、むしろやる気が出てきたな。ふふ、エーテリウム、エーテリウムか……」

 ”それでウタハ、エーテリウムをどこで入手したか教えてほしい。” 

 「うん?出所かい?残念ながら出自は明かされていないよ。ただ……見つけてきたのはアリス達だ。十中八九、"廃墟"だろうね。それがどうかしたのかい?」

 ”ちょっとね。"廃墟"はおっかない場所だから、ウタハたちは行っちゃダメだよ。アリス達にも伝えてね。”

 「それは大丈夫だよ。とっくにユウカにこってりと怒られているからね。」

 ウタハがくすりと笑うのにつられて、その微笑ましい光景を想像した先生も……いや、それはそれでおっかないなと、普段から無駄遣いで怒られている先生はコーヒーを飲みながら思った。

 


 ”さて、と。”

 ウタハはミレニアムへ帰ったが、オフィスに夕日が差し込み、思いのほか話が盛り上がっていたことを示していた。初めの警戒とは裏腹にエーテリウムそれ自体にはあまり害はない。気づかれないようにエーテリウムが齎す"完璧な知性への道を進ませる働き"だけをそっと阻害してから強化外骨格を存分に楽しんだ先生は、ちらと予定表を見る。今日の当番だったカンナには労わる目的も込めて早めに帰らせたし、これから会う予定の生徒もいない。シッテムの箱も持たずに、「廃墟」へ《瞬間移動》した。



 

 ――「廃墟」にたどり着いた。普段は生徒や世界に与える悪影響を考えて魔法を使わないようにしているが、そうもいっていられない。ひとまずどこから探したものかと《思案》しながら、あたりに《解析調査》を行う。4人分の新しい足跡を見つけた。ウタハはアリス達が見つけてきたといっていたから、ゲーム開発部の四人だろう。《記憶留出法》を試そうとして……やめた。ロアホールドの過去を明らかにする方法は死者の霊を呼び出すやりかただ。当たり前だが、皆死んでいないから意味がない。おとなしく足跡を辿っていくと、少し開けた場所に出た。あたりには箱や金属片が散乱しており、何かを探していた様子が伺える。近くには回収し損ねたのか、小さなエーテリウムがいくつか残っていた。ユウカへのお土産にでもなるかととりあえず拾っておく。その後、深呼吸して、私の目の前に広がった異常な景色を受け入れた。


 それは、音を立てながら青白い光を放つ、三角形を基本とした幾何学状の穴だった。その向こうからは、マナ――色づく霊気の存在を激しいぐらいに感じた。間違いない。それは領界路だった。


 領界路は、新ファイレクシアとの決戦の影響によって発生した次元同士をつなぐ道である。本来プレインズウォーカーでない存在は多元宇宙に満ちた霊気を超えて次元を移動できない。それは、あの決戦以降灯を失ってしまったプレインズウォーカーについても同様である。とはいえ、私は今も灯を保持しており、自由に次元を移動できる。私が使うこともない以上、これは別の次元から厄介事を招きかねない面倒ごとでしかないのだ。


 生徒たちが迷い込み、どこか別の次元へ移動してしまわないよう、領界路の入り口までたどり着けないように空間自体へ《存在の封印》を……

 ”いや、待った。”

 とんでもないことに気づく。足跡がもう一つあった。一方通行に足跡がもう一つ。推理すらいらない。私以外の多元宇宙の存在がキヴォトスに侵入している。あたりを見渡すと、散乱していた金属片が目に留まる。違う、ただの金属片ではない!ここにないはずの金属、ミラディンのダークスティールだ!壊れないはずの金属が、なにかから"剥がれた"ように落ちていた。無理矢理に縫い付けていたものが、次元間移動で落ちたのか。エーテリウムとダークスティールの関連性について脳をフル回転させて考えていると、一人のプレインズウォーカーの顔が思い浮かんだ。テゼレットだ。エスパー出身で、ミラディン≪新ファイレクシア≫と関わっていて、消息不明。灯を失ったのか?身体に次元橋を融合させていた筈だが……いや、次元橋で不意にここにプレインズウォークし、再度プレインズウォークしようとしてマナも霊気も殆どないこの土地のせいで身体の一部が剥がれ落ちたのか。そして、無理やりな次元橋によるプレインズウォークが影響してここに領界路が出現した。


 そう考えると筋が通る。テゼレットの人格は音に聞いている程には(ほとんどのプレインズウォーカーがそうだが)ろくでもない悪党だ。ここからプレインズウォークできないなら、まずこのキヴォトスを乗っ取ろうと考えてもおかしくない。生徒へ危害を加えるだけなら対処は容易いが、ゲマトリアと接触して手を組み始めるともっと面倒だ。


 勿論、キヴォトスにプレインズウォーカーは私一人でいいなどと驕り高ぶった考えはしていない。だが、私は生徒たる"彼女"からこの世界を託され、また並行世界の"私"からも生徒を託されたのだ。

 

 侵入者が私の推測通りならさっさとお帰りいただきたいが、もうすでに消息を絶っている以上、第二第三のテゼレットが来ないとも限らない。領域路から出てこれないよう、空間に《存在の封印》を施す。面倒なことになった。ゲマトリアも多元宇宙の存在を少なからず感知しているだろうが、プレインズウォーカーが接触するとなると話は変わる。本当に面倒なことになった。



 シャーレのオフィスに戻ってきて、椅子に座る。シッテムの箱を起動する。アロナに「何してたんですか!」と騒がれるが、無視してテゼレットという男の危険性について語ると、真剣さが伝わったのか徐々に静かになっていった。


 ”この話を、生徒皆に伝えてほしい。”

 ”特に新技術なんて話に釣られやすいミレニアムの子たちにはね。”


 『先生がさっきまで何をしてたのかもわからないですし、その話をどこで知ったのかも知りませんが……わかりました!私は先生の"秘書"ですからね!』


 頷いたアロナがせっせとモモトークを更新してくれているのを横目に、考える。


 ゲマトリアは多元宇宙を認識はしていたが、行いはキヴォトスに収まるものだった。

 

 「色彩」は力の行使を考えさせられる存在だったが、「色彩」が学園都市としてのジャンルを壊そうとする以上、プレインズウォーカーという存在も学園都市という舞台を壊しかねない。そして"彼"が先生として私に託そうとした以上、私もプレインズウォーカーではなく先生として、物語を逸脱することなく結末を迎えることを決意した。


 しかし、もはやそうもいっていられなくなった。多元宇宙の中でも孤立した存在であったはずのキヴォトスも領界路が開き始め、プレインズウォーカーが悪意を持ってキヴォトスを襲うのならば、私も"先生"ではなく"プレインズウォーカー"として脅威に立ち向かわなければならない。



 ふと、若きプレインズウォーカーである彼らのことを思い出した。あらゆる脅威から多元宇宙を守ろうとする彼らはそういえば、初めに「誓い」を立てていた。随分と微笑ましいが……右手を挙げて真似をする。多元宇宙よりずいぶんと規模はちっぽけだが……思うことは一緒だ。


 彼らは確か、こう誓いを立てていたかと思い出しながら口を開く。

 

 ”私は、大人として、生徒たちのために。”


 《"I will keep watch."》

 ”このキヴォトスを守り通そう。”



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